たとえばこんな不器用な雲。 忍者ブログ

たとえばこんな不器用な雲。

今、わたしの心模様...素直はなかなかムズカシイ。

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2015.7.15 空。



数年前から、自分が“自動操縦(自動運転)”になっているなぁ、と感じています。

と言いながらも、“自動操縦”という言葉は、2013年10月頃

ある心理カウンセラーの先生から初めて聞いた言葉なんですけどね。

そして、先生にはわたしが「もう滑走路から発進している」という風に見えていたそうです。


“自動操縦”というのは・・・これはわたしの考え、感覚も入った話になりますが

ただ目の前にあることを思いきり楽しんだり一生懸命やればいい

やりたくないことはやらなくていい

自分の望むもの、自分に必要なことは、その物事の方からこちらにやって来てくれる

という感じ。

流されている、とか、受け身、ということとは違う。

能動的、主体的であるし、それでいて“自動”なので楽ちん。


先生から聞いたときはまだ、自分が“もう発進している”実感なんてほとんどなかったけれど

その後、だんだんと「ああ、ほんとだ」って分かってきました。

そして、最近ではその“自動操縦”的な度合い?が加速度的に増してきているようで

ときどき、そのすごさにかなり驚かされ、ほえ~、ぼーっ、としちゃったり。


“そのまんまの自分”だとか、自分の気づき、直感(直観)といったことを大切にするようになって

それでこんな風になれたのかなぁ・・・日々、“驚き”と“不思議”を体験中。

(それほどスピリチュアル的な記事になっていませんように(; ̄ー ̄A ←あまり好きではないので 笑)



7月15日撮影の空(Flickr のページが開きます)。
⇒ 2015.7.15 空 (4枚)


グリムスキーワード:京都議定書
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2015.6.28 空。



先月28日に撮ったこの写真、「こんな空がいたんだよ」と友だちに見せたところ

「なんだかこの間のイラストに似てるね」

と言われ、ちょっとびっくり。

「ほんとだ・・・わぁ。。。」

言われるまで気づかなかったけれど、わたしもそう思っちゃいました。

イラストを描いたのが先(前日の27日)で、写真のほうが後

だから、なかなか不思議な感じもするのですが

どうでしょ?みなさんにはどう見えますか?(↓ふたつ並べてみた)

   


さらに

「これ、逆さにして見ると、宇宙からの眺めみたいだよ」

と友だち。

「宇宙から見た地球、みたいな感じ?」「すごいね、さっきとは全然違った景色になるね」

そんな風に楽しんでみたりも(↓逆さに見た景色)。



写真を逆さから見てみたことって、わたし、これまでにあったかな・・・ないかも。


物事を別の角度からも見てみるということ、いろんな視点を持つということ。

自分が見ているのはあるひとつの方向に過ぎなくて

また、“わたしにはそう見えている”というだけであること。

そういったことを「知っている」「分かっている」「気づいている」ことの大切さを

友だちとのさっきのやりとりからも改めて思ったり。

“別の視点”ということの大切さはよく耳にするし

分かって(いるつもりで)もいるけれど

「自分が見ているのはあるひとつの方向に過ぎない」

「“わたしにはそう見えている”というだけ」

ということに「(確かに)気づいている」というのは

案外難しいものだなぁ、簡単じゃないときがあるなぁ、と思う今日この頃です。



6月28日撮影の空(Flickr のページが開きます)。
⇒ 2015.6.28 空 (1枚)


グリムスキーワード:カーボンオフセット
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ある“心のお別れ”。

以前通っていた心理カウンセリングの学校(以下、学校K)で

同じクラスだったみんなと、先日、ランチ~お茶をしてきました。

これまで、わたし

「学校側の都合で、そこで勉強を続けられなくなった」

という書き方しかしてこなかったのですけど

去年の秋、学校Kが破産してしまったんですよね。

それで、みんなとは何の挨拶もしないまま、突然のばいばいになって

その後も特にはやりとりをしてなくて。

計画を立て、連絡を取り合って、先月、9か月ぶりに再会しました。

今回は、2級から一緒になったメンバーまでは声をかけることをしないで

3級(最初)からずっと同じクラスだった4人で集まりました。



カフェの個室を予約し、のんびりと食事やおしゃべりをして。

ちょっと久しぶりのメンバー、だけど

学校Kに通っていた頃と変わらない雰囲気。

とても楽しかったです。

みんなとまた会えたこと、近況を報告しあえたこと、本当に良かったです。



ただ・・・正直、残念に思うこともありました。

同じ心理カウンセリングの学校に通い、1年間一緒に勉強していたメンバーではあるのですが

「“心のことや心の勉強について深く話せる仲間”ではないんだな」

ということを感じてしまって。

実は、このことは学校Kに通っていた頃から感じていたことでもあり

一時期はけっこう悩んだり苦しんだりもしました。



確かに、勉強を始めたきっかけや、学校へ通い始めた動機、目的、

どこまでどんな勉強をしたいか、その求める量や程度、範囲、

それから、勉強のペースだとか

「勉強をする」「勉強を続ける」ということが可能な状況、環境にあるかどうか、だとか

「勉強したい!」という気持ちの度合いも

人それぞれなんだろうな、とは思う。

だけど、なんていうか

そういうのはあっても、そういうことじゃない、というか・・・

心のことや心の勉強について

「ああ、みんなはそんなには興味ないんかな・・・」

と思えてしまう。

特に“自分自身の心”というものについて、「知りたい!」って気持ち、ないのかなぁ、と。

勉強する中で、そういう気持ちになるということもなかったのかなぁ、と。

一緒に勉強していたり話をしていると、みんなの言動のところどころに

そういったこと、どうしても感じてしまう自分がいて。

もちろん、わたしが

そう思い込んでいるだけ、決めつけようとしているだけ

という可能性もなきにしもあらずだけど・・・。



こういう見方って上から目線なのかもしれない。

自分の中に勝手な期待や願い、想いのようなものがあって

そこから出てきている気持ちに過ぎないのかな、とも思う。

それでもやっぱり・・・わたしはとても残念に思ってしまった。

悲しさや悔しさ、腹立たしささえ感じたり。

学校Kに行こうって決めたとき、みんな多かれ少なかれ

「よしっ!」と思って申し込んだんじゃないかなぁ、って思うんですよね。

そういう気持ち、あったと思うのに・・・

なんか、もったいないです。。。



“人それぞれ”なのかもしれないけど

“人それぞれ”で片づけたくなかったし、片づかなかったので

自分の勝手な想い、願いはここに置いて

気持ちに区切りをつけたくて、ある意味“心のお別れ”をしたくて

このお話をさせていただきました。

わたしは相変わらず不器用です。


グリムスキーワード:食物連鎖
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